奥出雲ブックカフェに参加しました

 3月5、6日の両日、奥出雲ブックカフェに、宍道先生、福田さん、森田と、森達也に会いたいがために東京から駆けつけた私の後輩の田中さんの4人で参加しました。ドキュメンタリー映画「A」や、「死刑」などの著書がある、森達也氏を招いたブックトークが2日間で計5回開かれました。

 森達也さんの「A」を私は見ていないのですが、同名の著書や「死刑」などは読んでいましたから、人権に対する正しい認識と、日本が直面している危機について、興味深い話しを聞けました。私は5日の1回目のトークを聞きました。来場された一般の方々からの質問に答える形で、森さんの話しを伺いました。

 Aは、オウム真理教の信者を、組織の内側から映し出すことで、オウムの側から日本をみようという、設定が非常に秀逸です。森さんは、問題の本質部分をこう言いました。「まだ、オウムの人たちがサリンをなぜまいたのかが分かっていない。国による強制捜査を回避するための目くらましという解釈が一般的にされているが、果たしてそうだったのか。なぜまいたのか、理由が分からないから国民の不安が消えない。マスコミによって伝えられた情報が増幅し、集団化した国民が、みんなと違うことは許さない、という排除と処罰の論理をみんながふりかざしている」と喝破しました。

 このことは、森さんの著書にある「死刑」にも共通する視点です。国家が殺人を犯していいのかという疑問を足がかりに、関係者のインタビューをまとめています。死刑を国民の8割以上が容認する日本の空気は「被害者の心情」を考慮するあまり、「罪刑法定主義」すなわち、犯した罪の重さに応じて罰する、という法治国家の根本原則を、日本はすでに逸脱していると指摘します。判決に「被害者の心情を考慮」し、「感情的な処罰」を日本行っており、その傾向は強まるばかりです。確かに一筋縄では解決しない問題ですが、処罰と排除を感情的に進める日本の現状を、森さんは、するどく突いていると思いました。

 最近よく思うのですが、日本全体が経済の低迷、雇用の悪化、少子高齢化という危機に直面する今、国全体を覆う「不安感」が、日本人の心に巣くい始めています。その「闇」が、集団化と異物の排除(死刑は究極の異物排除と言えるかもしれません)につながることの怖さを実感します。森さんの話を伺って、監視カメラがあらゆる場所に設置され、「異物」を監視する「眼」が、国民の恐怖と不安に裏打ちされているように思います。ただ、異物を排除する文化そのものが日本人をかたちづくってきたとも言えますからこれは、第2次世界大戦に突き進んでいった日本は、いまだに変わっていない、ということかもしれません。

 この中で、問題点の1つはマスコミの問題でした。私はマスコミの立場にいる人間として(実態はミニコミですが...)反省しきりでした。。ネットによるカンニングの問題にも触れ、単なるカンニング(悪いことですが)で、逮捕するなんて、これまでなかったことです。マスコミも、大学も過剰反応と偏った報道で1人の若者を社会的に抹殺してしまいました。森さんも「無軌道に騒ぎすぎ」とおっしゃっていました。物事を一面からばかりとらえ、ネットによるカンニングという、既存のマスコミの「恐怖感」が、ネットを排除しようという心理と相まって、マスコミが過剰に取り上げ、国民全体の世論を誘発。森さんが「A」や「死刑」で指摘した、集団化→疎外化→厳罰化という「国体護持のメカニズム」にマスコミが荷担しているのではないか(戦時中はそうでした)とも考えさせられました。文化と民主主義を守るため、できることから始めたいと改めて、強く心に刻んだ2日間でした。
 
 夜には、奥出雲ブックカフェを運営されているポケットのメンバーと、森さんを囲む会に参加させていただきました。町内に公立図書館を作ろうと活動されている皆さんの熱い思い、森さんがくれた「迷いながら書けば、それでいいのでは」という言葉を受け取りました。

 報告が自分の感想文になってしまいました。一箱古本市は、曽田文庫の寄贈本、宍道先生と私が持参した蔵書もまあまあ売れました。金額は分かりませんが、私の本は計15冊ほど売れ、売上げの一部を寄付させていただきました。溝口善兵衛知事と、井上勝博奥出雲町長、絲原徳康県議も、「選挙運動」の会合の後で、立ち寄り、本を買ってもらいました。森さんの吸引力が強すぎて、森さんの本がかなり売れていたことも考えますと、なかなか売上げ的には厳しかったかと思いますが、私としてはポケットの皆さんとお知り合いになれたこと、森さんの言葉をいただいたことで、収支は大幅な黒字でした。

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